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韓国国宝第1号 ・ 南大門 (崇礼門) 放火推定火災で'全焼' [◆ その他いろいろ ◆]

【news chosun 2008.02.11 01:38】

10日午後8時48分頃国宝1号のソウル,中区 南大門(崇礼門)で放火と推定される火災が発生して,4時間を超え、11日午前0時40分頃2階楼閣一部が崩壊になり始めた。

11日午前1時現在2階楼閣は全焼して崩壊になった状態や,火が1階まで広がって,南大門全体が全焼・崩壊危機に窮した。

近隣中部消防署など消防車50台余りが出動して,鎮火作業をしているが火災発生4時間30分が過ぎるように火は抑えられないでいる。

最初火は外部に沸き上がらなかったし,濃厚な煙だけ出てきたが火災発生2時間ぐらいから肉眼でも屋根の上で赤い火を確認するほど火災が深刻化した。

火災発生4時間後 11日午前0時30分には火が2階楼閣全体に広まり,午前0時40分頃楼閣一部キワッチャンが崩れ始めて,以後楼閣屋根が大量に落ちた。

火災当時南大門内部には火災に備えたスプリンクラーがなかったし,消火器も8台も1,2階に分けて置かれるなど消防施設が不備だったことから知られた。
感知器など火災警報設備はない状態が確認された。
またホン例文が開放される午前10時から午後8時間に平日3人,休日1人の職員が常駐しながら,管理するがその以後からは無人警備システムに依存している。
今回と同じようにホンレイモン閉鎖時間に発生した火災状況には迅速な対処が難しい状況だ。

 

▲ 10日午後8時50分頃ソウル,中区 崇礼門 で原因不明の火災が発生した。

 

消防当局によれば,火は南大門楼閣の二つの屋根中上側にある屋根側から初めて発生したと推定されている。

消防当局は午後9時55分に火災非常2号,10時32分に一段階低い非常3号を発令したし,現在ポンプ車と高架はしご車など消防車50台余りが現場に出動して消化作業を始めた。

消防当局は発火地点と原因を明らかにして追加火災を防ぐために文化財庁から文化財解体承認を得た後,火種除去のために南大門表札板一部を切り出したりもしたが、すでに火種を捉える時は遅れた状況だった。

消防当局は火災初期南大門楼閣は一般人接近が禁止されていて放火可能性が少ないことで見て,夜間照明のために設置した電気施設で漏電が発生したのではないかという観測をした。
しかし,消防署員が実際2階楼閣に上がってみると電気施設がなかったことを確認されたし,放火の可能性を提起する情報提供も相次いでいる状況だ。

タクシー運転手イ某(44)さんは"近所でお客さんを待っているのに50台程度と見えるどんな男性がショッピングバッグを持って南大門そば階段に上がった"として"暫くして南大門で花火を打ち上げるように真っ赤なあかりが広がって出たし,申告をして見るとその男が降りてきた"と話した。
イ氏は"警察がその男を追いかけて行かなくて直接車を運転して追ったのに探せなかった"と付け加えた。

 

消防署員と共に警察40人余りも火災現場に出動して,火災原因を調査している。

南大門(崇礼門)はソウルに残っている木造建物中最も古くなったことで1395年(太祖4年)に作り始めて1398年(太祖7年)に完成された楼閣型2階建物だ。
現在残っている建物は世宗29年(1447)に直して作ったことで1961~1963年解体・修理作業がなされた。 

(翻訳機使用)

 

【news chosun 2008.02.11 02:01】

 

【news chosun 2008.02.11 02:46】

 

 

◆ “国宝1号”崇礼門5時間で全焼・崩壊 ◆

【中央日報 2008.02.11 06:16:48】

 大韓民国の国宝1号の崇礼門(スンレムン)(南大門)が火災により崩壊した。

  崇礼門は朝鮮時代である1398年に創建された。ソウルにある木造建築物の中で最古だ。

  10日午後8時40分ごろ、崇礼門で放火とみられる火災が発生した。首都のど真ん中で起きたこの火災は11日夜遅くまで続いた。初期火災鎮圧に失敗したためだ。消防当局と文化財庁の安易な対応で、国宝1号が消えてしまったのだ。

  一時火は消し止められたように見えた。しかし11日0時になるとさらに激しく炎上、一歩遅れて消防当局は屋根をはずして放水しようとしたが、炎が崇礼門全体を覆うと断念した。

  出動した消防車50台余りと消防署員150人がはしごやホースなどを利用して水による鎮火作業を試みたが、火災発生4時間後に崩壊が始まった。

  11日0時40分、樓閣2階と屋根が崩れ落ちた。時間が経過し、骨組みだけ残して形がわからなくなるほど崩壊が進んだ。消防関係者は「指針で文化財庁と協議の下、鎮火作業を行うことになっている。これにより文化財庁と協議を経た後で、ようやく屋根を取り除けることになったため、火を消し止められなかった」と話した。

  個人タクシー運転手イ・サングォンさん(44)は「午後8時40分ごろ短髪にミリタリージャンパーと黒の登山用ズボンをはいた50代ほどの男が紙袋を持って崇礼門のそばの階段を登っていた」と話した。イさんは「1~2分後、崇礼門左側の1階樓閣と2階樓閣の間から赤い花火が上がった」とし「崇礼門に上がった男は火花が起こると階段を下り、南山の方に消えた」と付け加えた。警察は目撃者の陳述から放火である可能性が高いものとみて捜査を進めている。

  ◇崇礼門(南大門)=1962年12月、国宝1号に指定された国内を代表する文化財だ。漢陽都城の8門のうち最も重要な正門であり、現存する国内城門建物としても最も規模が大きい。現在、ソウルに残っている木造建物のうちで最も古いものだ。朝鮮王朝が漢陽に遷都後、1395年(太祖4年)に建築を始め、1398年に完工された。2005年5月、崇礼門周辺に広場が造成され、2006年3月、虹霓門が一般に開放された。

  

 

 

◆ 韓国国宝第1号・崇礼門で出火 ◆

【朝鮮日報 2008/02/10 22:41:16】

 10日午後8時50分頃、南大門の名で親しまれている韓国国宝第1号、崇礼門(ソウル市中区)から出火した。

 午後10時現在消防車約40台と消防官約80名が消火作業を行っている。

 

 

◆ <南大門火災>崇礼門の復元は可能なのか ◆

【中央日報 2008.02.11 10:33:26】

実測図面は残っているが原形の回復は事実上困難

  11日0時40分、燃えた崇礼門の瓦が“どどっ”という音とともに崩れ落ちた。

  火災が起きてから3時間40分後の出来事だった。炎に包まれた‘国宝第1号’の姿に文化財関係者はもちろん、韓国中の人々が驚きで我を忘れた。

  今回の火災で崇礼門の大々的な復元工事は避けられなくなった。崇礼門は太祖4年(1395年)に着工し、3年後に完工した。以後、世宗(セジョン)と成宗(ソンジョン、朝鮮第9代王)時に補修工事が行われたが、建築当時の原形はそのまま保存された。

  このような背景から、崇礼門の復元を懸念する声も高くなっている。カン・テヒョン国立中央博物館保存科学室長は「文化財は一度損傷すると原状への復帰が事実上困難だ。特に崇礼門は火災に脆弱な木造建築物でより深刻だ」と述べ「復元にも相当な期間を要するものと見られる。結果的に文化財管理がずさんだった。一般に開放したのは良かったが、もう少しセキュリティと管理を徹底すべきだった」と指摘した。

  火災現場を見守っていたファン・ピョンウ文化連帯文化遺産委員長は「2階の楼閣の瓦とその下の塗り土の間からずっと煙が出ていた。初期消火に失敗したようだ。はじめからはしご車を動員すべきだった」とし「今の状況では全面的な解体と補修は避けられない」と話した。

  崇礼門は1960年代初めに大々的な解体補修工事をしたことがある。その当時、最高の技師と呼ばれたチョ・ウォンジェ氏が復元工事の総監督を務めた。チョ氏は現在進行中の景福宮(キョンボックン)復元事業の総監督である申鷹秀(シン・ウンス)氏の師匠でもある。以後、崇礼門で大きな工事は行われなかった。一部瓦の張り替えなど小さな補修作業があっただけだ。

  崇礼門の昔の面影をまた元に戻すのは事実上不可能だ。代わりに崇礼門を復元するための資料は十分に保存されていることが分かった。文化財庁建築文化財課の関係者は「崇礼門に関する精密実測図面がある。模様画の配色や建物に関する部材別の実測図面もある。資料が揃っているので技術的な次元での復元作業には困難はないとみられる」と話した。

  一方、世界文化遺産への登録推進事業のためフランスのパリに滞在していた兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長官は「崇礼門火災」の一報を聞いて、日程を変更し、11日午前に急きょ帰国する予定だ。

 

 

 

◆ 100年ぶりに開門した崇礼門 ◆

【朝鮮日報 2006/03/03 19:50:13】

 ソウル市中区は3日午前、国宝第1号の「崇礼門(南大門)開放式」を行い、正祖大王華城回京、御駕行列、崇礼門生活史再現など、さまざまな行事を行った(写真=聯合ニュース)。

 

 

 

◆ “歴史の目撃者”崇礼門1398-2008 ◆

【中央日報 2008.02.12 08:38:47】



  1904
1398年に建設された崇礼門(スンレムン、南大門)は朝鮮(チョソン)王朝の顔だった。地方各地からの文物が首都の漢陽(ハニャン、ソウルの旧称)に入るためにはここを通らなければならなかった。20世紀の初め、崇礼門の外には商店と民家が密集していた。今は消えてしまった城郭がはっきりと見える。

  

  1940
日帝は1907年に崇礼門周辺の城郭を壊し、道路を建設した。それ以後、朝鮮王朝の顔だった崇礼門は道路に囲まれ島のように孤立してしまった。列をなして走る自動車、崇礼門に隣接した洋式の高層建築物が時代の変化を実感させる。

  

  1951
全国土を戦渦に巻き込んだ韓国戦争(1950-1953)中にも崇礼門は無事だった。600年近く耐えてきた崇礼門は戦争の悲劇を目の当たりにしながらも自身の堂々とした姿だけは失わなかった。韓国戦争当時、砲撃により石垣と屋根などが壊されたときでもそれは変わらなかった。

  

  1963
韓国戦争(1950-1953)による被害を復旧するために1961年から1963年まで大規模な解体および復元工事が行われた。2008年私たちの心とともにに崩れ落ちるまでの崇礼門の姿だ。“祝・修造竣工”という祝いの言葉がむしろやるせない気持ちにさせる。

  国宝
政府が1962年12月20日、崇礼門(南大門)を国宝第1号に指定した。漢陽の都城の八門の中で最も重要な正門であり、ソウルに残っている木造建造物中で最も古い門だった。朝鮮王朝が漢陽に遷都した後、1395年(太祖4年)に建築が始まり、1398年に完成した。2006年3月から中央通路が一般に開放された。

 

◆ 崇礼門に侵入しても罰金2万ウォン・・・情けない文化財保護 ◆

【中央日報 2008.02.11 09:51:24】

10日夜から11日未明にかけて国宝第1号の崇礼門が火に包まれた。これとともに文化財管理の問題点を指摘する声が高まっている。

  1907年、日帝は崇礼門と連なっていた城郭を壊し、周囲に道路を作って孤立させた。棄損の心配はほとんどなかった。また崇礼門の周辺は道路で囲まれているため一般市民が近づくのは容易ではなかった。2006年3月に100年ぶりに開放されたが、1階のみ開放を限定したため破損される確率は高くなかった。

  これまでの事件としては91年8月、酒に酔った50代の男が盗んだ乗用車に乗り崇礼門の出入口に突進して門を破損するという事件があった。また、97年2月にもやはり泥酔した30代の男が日本人観光客とともに写真を撮影しようと統制区域の中へ侵入して逮捕される事件があっただけだ。

  したがって今回の火災の責任は文化財庁をはじめとし中区庁、警察に集中している。焼けた崇礼門には1、2階に消火器8台しか配置されていなかった。そのほかに消防感知器などは設けられていなかった。

  特に一般開放後、監視体系が粗末で誰でも崇礼門に侵入できるという点も事故の原因として指摘されている。開放時間の午前10時から午後8時以外の入場が摘発されても軽犯罪処罰法によって罰金2万ウォン(約2270円)が適用されるだけだ。

 

◆ 国宝1号の保険金は9508万ウォン…災害対策訓練なし ◆

【中央日報 2008.02.12 10:51:05】

緊急診断①木造文化財、残り144カ所も危険にさらされている

  火災に遭った崇礼門(スンレムン)は、国宝1号としての待遇を受けられなかった。

  保険による補償は「災害復旧共済」を名目に9508万ウォン(約1073万円)にしかならない。また防災施設の構築事業についての順位でも重要視されていなかった。

  文化財庁は2005年の洛山寺(ナクサンサ)火災以後、重要木造文化財に防災システムを設置し始めた。昨年第1次事業として海印寺(ヘインサ)、鳳停寺(ボンジョンサ)、無為寺(ムウィサ)、洛山寺など4カ所に水幕設備などを設置した。崇礼門は優先的な構築対象124カ所の木造文化財目リストの中で48番目だった。

  問題は崇礼門だけでないということだ。現在、宝物第1号に指定されている興仁之門(フンインジムン、東大門)はどうなのか。全国の木造文化財が崇礼門と特に変わりなく‘放置’されている。現在、文化財庁に登録された全国の木造文化財は延べ145カ所。この中で国宝級が今回燃えた崇礼門など23カ所、宝物級が興仁之門(フンインジムン)を含み122カ所だ。このように木造文化財が多い国で火災に関する文化財専門家が1人もいない上、火災の予防訓練さえ一度も行われていないのが文化財管理システムの現状だ。趙由典(チョ・ユジョン)土地博物館長は「文化財を扱うものとしてあきれてものが言えない」と心境を吐露した。

  ◇名前だけの国宝第1号=火災現場に到着した消防署員と主務官署である文化財庁の関係者間でやりとりされた会話は、我が文化財行政の水準をそのまま示している。「国宝だから慎重に消火しろ」という話や、その話を聞いて消極的に対処したという話や非専門的なのは同じだ。

  文化財庁は2005年12月「文化財災害対応マニュアル」を作った。しかしこのマニュアル通りに非常事態に対応したシステムは稼働しなかった。崇礼門を管理する中区庁の関係者は「火災に関するマニュアルはなく、我々が担っている維持、補修や清掃事業がその全て」だと話した。

  専門家らは火災を的確に消火できなかった原因として瓦の下の木についた火を確認できなかったためだと推定している。この木は垂木と瓦の間にあり、しんばり棒の役割をする。普段から崇礼門の構造図面を熟知し、火災防止マニュアルにともなう訓練が蓄積されていたなら、火災現場の消防署員と文化財庁の職員との間でなされた会話は違ったことだろう。

  さらに残念なのは2006年に崇礼門を市民に開放されてからも特別に取られた措置がなかったという点だ。ファン・ピョンウ文化連帯文化遺産委員長は「状況別、形態別、単位別、種類別の実践ノウハウが全くない。災害ごとの訓練も全くなかった。関係規定もない。火災防止マニュアルは小学校水準だ」と批判した。

  ◇繰り返される人災=現政権で起きた2件の大型文化財火災として洛山寺と今回の崇礼門の事件が記録される。

  文化財研究所の保存科学専門担当者25人中、火災の専門家がいない。文化財庁は1984年以降に発生した16件の主な文化財火災のうち双峰寺(サンボンサ)など6件については調査報告書すらない。洛山寺火災後もそれほど変化を遂げたものもなく、数多くの木造文化財は依然として火災の危険にさらされている。金聖雨(キム・ソンウ)延世(ヨンセ)大建築学科教授は「都心にある歴史的建造物も問題だが、韓国の木造文化財は山の中にその多くがあるのに全国の山の中にある寺院などのほとんどが無防備な状態だと言える」と懸念している。

  

 

◆ 崇礼門火災、有力容疑者犯行認める ◆

【中央日報 2008.02.12 09:32:13】

崇礼門(スンレムン、南大門)火災事件を捜査中の合同捜査本部は、有力な放火容疑者としているチェ某容疑者(70)が犯行を認めたと12日、明らかにした。

  捜査本部はチェ容疑者が文化財放火の前科がある上、目撃者たちが見た60代容疑者と着ていた衣服が似ているなどの情報から有力容疑者と判断、11日、江華郡河岾面(カンファグン・ハジョムミョン)で逮捕、取調べをしてきた。

  捜査本部は特にチェ容疑者のいた住居から押収したはしご、かばん、ズボン、手袋、シンナー1本などが今回の放火に使われた証拠品であるか、鑑識を続けている。

  チェ容疑者は2006年4月、昌慶宮文政殿(チャンギョングン・ムンジョンジョン)に火をつけ、400万ウォン相当の財産被害を出し、執行猶予の宣告を受けて釈放されていた。

 

◆ 南大門放火、容疑者が犯行認める ◆

【朝鮮日報 2008/02/12 07:55:15】

 ソウル市で10日に起きた崇礼門(南大門)放火事件を捜査している合同捜査本部は12日、有力な容疑者として取り調べを受けていた70歳の男が犯行を認めたと発表した。

 捜査本部によると、男は目撃者が崇礼門周辺で見かけた60代とみられる人物と姿や着衣が似ており、証言と一致する衣服やかばんを所持していたため、有力な容疑者として浮上。11日に仁川市江華郡で身柄を拘束され、取り調べを受けていた。

 警察は男の自宅から目撃者が証言したものと同じ種類のはしご、かばん、服に加え、シンナー1瓶などが発見されたため、追及していた。

 男は2006年4月にもソウル市の昌慶宮文政殿に放火した前科がある。この火事の被害額は400万ウォン(約45万円)だった。

 警察は男が文政殿に放火した際、土地補償に絡むトラブルで腹いせに犯行に及んだと供述しており、今回も同様の理由で崇礼門に放火したとみて調べている。

 警察が男から押収した手紙には、京畿道高陽市一山地区に保有する土地が開発対象となったが、補償金問題が解決せず、土地を売却できずにおり、社会的関心を引くため放火したという趣旨の内容が含まれているという。

 

◆ 崇礼門放火容疑者緊急逮捕…昌慶宮でも放火 ◆

【中央日報 2008.02.12 07:11:53】

ライター2つ、はしごを発見

  崇礼門(スンレムン)火災事件を捜査中の合同捜査本部は11日、放火事件の有力な容疑者としてチェ某容疑者(70)を緊急逮捕した。

  警察はチェ容疑者が2006年4月、昌慶宮(チャンギョングン)文政殿に火をつけ400万ウォン相当の被害を出した放火犯であったことから容疑の線上に乗せ、職務質問を行い、検挙に至った。

  警察はチェ容疑者のいる江華郡河岾面(カンファグン・ハジョムミョン)の建物から、放火事件直前目撃者たちが見たものと等しい種類のはしご、リュックサックを見つけた。また揮発性が高くて放火に利用されるシンナー1本も発見した。

  これに先立ち警察は「60代前後の男性が山登り用リュックサックとアルミニウムのはしごを担いで樓閣に上がるのを見た」という目撃者陳述を確保していた。事件当日の行動についてチェ容疑者は警察にアリバイを立証することができなかったということだ。

  警察は12日まで取り調べを行った後、捜査結果を発表するとしている。警察は情報提供を受けて江華島の離婚した前妻の家でチェ容疑者を検挙したことと伝えられた。

  警察高位関係者は「チェ容疑者の行動に疑問が多く、深夜も取調べを行っている。チェ容疑者は現在、崇礼門放火事件の有力な容疑者だ」と話している。

  警察はこの日、消防当局、ソウル市庁、電気安全公社など関係機関とともに崇礼門で合同現場鑑識を行った。その結果、ライター2つとはしご2つを見つけ、国立科学捜査研究所に鑑識を依頼している。

  

2006年4月、昌慶宮文政殿の火災現場

 

 

◆ 南大門炎上1週間 文化財保護「日本に学べ」の声 ◆

【産経新聞 2008年2月17日】

【ソウル=黒田勝弘】韓国で国宝1号の南大門(崇礼門)が放火で炎上、焼け落ちてから1週間になるが、世論のショックや怒りは収まらず、当局の事後処理なども右往左往が続いている。責任問題では、近く任期を終える盧武鉉政権と前ソウル市長だった李明博次期大統領とどちらにより責任があるかで“政争”の気配もみえる。そんな中で「木造文化財の保護、管理は日本が最高水準」と「日本に学べ」の声がしきりに聞かれる。

焼け落ちた「南大門」関連の写真

 事後処理で問題になったのは、火災現場で消防当局が掘削機などを使って焼け跡を勝手に掘り起こしたり、文化財当局が残骸(ざんがい)をいち早くゴミ処理場に運び出したりしたことだ。文化財火災の際の厳格な現場保存や精密調査など、基本的対応を無視したやり方と、世論の非難を浴びている。
 一方では焼け落ちた瓦がひそかに外部に持ち出され、インターネット競売で1個100万ウォン(約10万円)の値が付けられていることが分かり、ネットでも非難が爆発している。
 こうしたちゃっかり組には、焼け跡の現場近くに勝手に手作りの祭壇を設け、ひざまずく悲しみの市民から“義えん金”を取ってポケットに入れていた者もいる。

 いまなお国民的怒りの対象になっているのは放火犯(69)。立ち退き補償問題で陳情を無視された当局への恨みが原因というが、現場検証でも「人が死んだわけではない。建て直せばいいじゃないか」と反省の弁はまったくなく、さらに世論の怒りを買っている。

 火災直後、文化財への認識を高めようと「国民募金で再建しては」と発言した李明博次期大統領もたちまち「まだそんな話をするときではない。まして国民に直接負担させようなどとは」と批判され、発言を撤回。代わって一部マスコミが募金運動を始めた。

 また火災現場は当初、当局によって大きな工事用遮断壁が張られ、外からは見えなくなったが、市民から「教訓として多くの人びとに現場を見せるべきだ」と抗議が殺到したため手直しされることになった。
 今回の南大門火災をきっかけに当局者やマスコミは、法隆寺壁画や金閣寺など文化財火災を経験した日本での文化財保護政策の実情を一斉に紹介し、日本評価の声が高まっている。

 


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コメント 2

juna

知らなかった・・・
なんだか、すごくショックだな・・
by juna (2008-02-11 10:41) 

w_rose

昨夜この火事の第一報記事を見た時、信じられない光景に驚き
小規模で抑えられ早期鎮火の記事が早く出てほしいと願いながら
続報を見ていたのですが、最悪の結果になってしまいました[わーん]

韓国の方々の悲しみを推し量ることはできませんが
世界的にも貴重な建築物が消失してしまったのは
本当に残念です
by w_rose (2008-02-11 18:37) 

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